先日、あるテレビ番組で紹介された、結婚したい“普通の男性の容姿”。そこで星野源さんの名前が挙がったことに対し、「星野源は普通じゃない!」「普通のハードル高すぎ!」と、ネット上で論争が大いに盛り上がった。そもそも“普通”とは何なのか。『広辞苑』(第7版)には、「一般的であること・多くにあてはまること。」とある。
前些日子,某电视节目介绍了一般女性心中对于结婚对象的“普通男性的姿容要求”,并提出了星野源的名字,认为他是理想中的普通男性。这在网上引发了巨大争议,网友们觉得“星野源可不普通!”“(以他为标准的)普通‘门槛’太高了!”。话说回来,“普通”的定义究竟是什么?《广辞苑》(第7版)的解释是“普遍的,和大多数(人/事/物)契合的”。
15年前に『「普通がいい」という病』を出版した泉谷クリニック院長の泉谷閑示医師(精神科)は、人々の“普通”ということへの感覚の変化について、次のような見取り図を示す。
15年前出版了书籍《名为“普通就好”的病》的泉谷诊所院长泉谷闲示医师(精神科)表示,人们对于“普通”的感觉发生了变化,具体如下图所示。
△ 与时代一同变化的对“普通”的认知
二战后~日本经济高速成长期:以海外基准的“普通”为目标
泡沫经济时代:被认为是跟不上时代的蔑称
泡沫经济时代崩坏后:向往“普通生活”的时代
现在(SNS时代):用来表示自身正当性的用词
「戦後、高度成長の頃までは、多くの人が自分のことを“普通“だとは思っていなかったと思う。みんながアメリカを中心とした海外の“普通”に憧れ、それを目指した。ある程度の豊かさが実現し、バブル期に入ると、今度は“普通”とは“つまらないもの”、それどころか“なりたくないもの”だとして見下げるようになった。しかしバブルが崩壊し、就職氷河期とか、失われた10年などといわれる時代に入ると、“普通”になるのが大変なことになってしまった。J-POPの歌詞などを見ていても、“普通“とは憧れるものになっていった。加えて、自分たちの基準から外れた人を“普通じゃない”とディスる使い方、同調圧力、排除の言葉として使うことも多いのではないか」。
“二战之后,一直到经济高速成长时期,许多人并不觉得自己是‘普通’的。因为大家对以美国为中心的海外国家的‘普通’产生向往,并以之为目标。在一定程度上拥有了充实的生活,进入日本经济泡沫期,这时候的‘普通’又被当作是‘无聊的东西’,甚至是‘不想变成这样’而被轻视了。然而,泡沫经济崩坏后,日本进入就职冰河期,也就是进入了被称为‘失去的10年’的时代后,‘普通’又变得很难实现了。观察J-POP的歌词可以发现,所谓的‘普通’又成了人们的憧憬。再加上,人们用‘不普通(和大家不一样)’来贬低那些偏离自己标准的人,‘普通’很多情况下,又成了造成同调压力,用来排除异己的词”。
泉谷氏が本を出版した頃は、“普通になりたい”という悩みを抱えて相談に訪れる人も多かったという。ところが「多様性」が重んじられる社会になった今、最近では悩みの中身にも変化が見られるという。「ネットを中心として小さなコミュニティがたくさんできていて、その中での“普通”という感覚を持つようにもなっている。昔のようにメディアがテレビや新聞だけだった時代は、“普通”にも画一的なイメージがあったと思うが、今は無数の“普通”が巷に存在するということだ。そのためか相談内容には、“結婚できない”“正社員になれない”など、具体的な悩み、あるいは自分がやりたいように生きることと周りの感覚との相違から、罪悪感や葛藤を抱えている人も多いと考えている」。
泉谷先生出版这本书时,有不少怀着“怎么成为普通人”这一烦恼的人跑来找他咨询。然而,在如今这个重视“多样性”的社会里,最近大家烦恼的内容也发生了变化。“以网络为中心,大家产生很多小的交流群,也获得了由此产生的‘自己是普通的’感觉。过去‘媒体只有电视和报纸’的时代里,所谓的‘普通’是统一的,但现在却有无数的‘普通’在街头巷尾存在着。或许正因如此,人们来咨询的内容包含了‘我无法结婚’、‘我无法成为正式员工’等具体的烦恼,我觉得有很多人可能是自己想实现的生活方式和周围人认同的生活方式不同,因此内心产生了罪恶感及矛盾”。
ジャーナリストの佐々木俊尚氏は「かつてはサラリーマンの夫と専業主婦の妻、そして子どもが2人いる家庭を“標準家庭”と呼び、“今回の増税で標準家庭の負担は…”みたいに報じていた。しかしかつては至って平凡な市民とされていたような生き方がむしろ憧れに変わっていると思う。“春日部市の一戸建てに住む『クレヨンしんちゃん』の野原一家って、実は金持ちじゃん”とみんなが思うような時代だし、高齢者の一人暮らし家庭が“標準家庭”になりつつあるのではないか」と指摘する。
记者佐佐木俊尚则指出“(日本)过去是将由身为工薪族的丈夫、身为专业主妇的妻子以及2个孩子组成的家庭称为‘标准家庭’,媒体报道中就会出现诸如‘这次的增税对标准家庭造成的负担是…’这样的内容。然而过去平凡市民的生活,反倒成了大家的憧憬。现在这个时代,大家会觉得‘《蜡笔小新》里在春日部市有独栋楼房的野原一家其实是有钱人’,现在的‘标准家庭’已经渐渐变成高龄者一人独居的家庭了吧?”。
慶應義塾大学特任准教授でプロデューサーの若新雄純氏は「“普通“という言葉が、いわば“避難所”になっているということだと思う。この2~30年、個性的であれとさんざん言われてきたし、働き方も多様になってきた。そういう中で、個性的でも多様でもない自分はどうしたら、という時に、“でも普通だからいいじゃん”という避難所になっていると。多くの人にとってはレベルが低いのかもしれないけれど、頑張ればなんとかやれるという、ちょうどいい頃合いの便利なものとして残しておけばいいのではないか」。
庆应义塾大学特聘副教授,制作人若新雄纯则表示,“‘普通’这个词其实也变成了‘避难所’。最近二三十年里,到处都在宣扬要有个性,工作方式也变得多样化。在这样的情况下,既没有个性也不够多样的自己,应该如何、在什么时候进入‘就算普通也没什么不好’这一避难所。对于许多人来说,这种做法或许是所有选择项里比较低级的,但把‘普通’作为只要努力就能达到,在合适的时机下可以选择的一条路留下不是也很好嘛。”
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